教えのやさしい解説

大白法 715号
 
大綱と網目(たいこうともうもく)
「大綱と網目」とは、大綱は根本となる綱(つな)、網目は細かい網(あみ)の目のことで、おおもとの綱を引くことによって、すべての網目がそれぞれの立場で用(はたら)きをするように、物事の大要と細目を表現するときに用いられる言葉です。網目は大綱のもとで初めて用をなし、そこには主と従の関係が存在します。

 大綱とは法華経 網目とは爾前経

 天台大師は『法華玄義』に、
 「当(まさ)に知るべし、此の経は、唯(ただ)如来設教(せっきょう)の大綱を論じて微細の網目を委(くわ)しくせず」 (法華玄義釈籖会本)
と示されているように、法華経では釈尊一代五十年の説法における大綱、すなわち最も肝要な教理が示され、網目である枝葉末節(しようまっせつ)の事柄については詳(くわ)しく説示されず、爾前(にぜん)の諸経の中にこれを譲られています。
 日蓮大聖人は『観心本尊得意抄』に、この「大綱と網目」を例に挙げて、次のようにお示しになっています。
 「総じて一代聖教を大に分かって二と為(な)す。一には大綱、二には網目なり。初めの大綱とは成仏得道の教なり。成仏の教とは法華経なり。次に網目とは法華已前(いぜん)の諸経なり。彼の諸経等は不成仏の教なり。成仏得道の文言、之(これ)を説くと雖(いえど)も但名字のみ有って其の実義は法華に之有り」(御書 九一五n)
 この御金言のように、釈尊一代五時の説教のうち、「大綱」となる教えは成仏得道を説いた法華経であり、その他の諸経は法華経の「網目」となります。
 さらに法華経『方便品』に、
 「十方仏土の中には唯一乗の法のみ有り二無く亦三無し」(法華経 一一〇n)
と説示されているように、一仏乗たる法華経のみが一切衆生を成仏させることのできる唯一根本の教えであり、その他の教えには二乗(声聞・縁覚)や菩薩としての修行や、成仏・得道の名は説かれていても、成仏の実義は全く存在しないからです。

 爾前経は法華経のための方便
 大聖人は、網目に当たる諸経の立場と役割について『観心本尊得意抄』に、
 「所詮(しょせん)成仏の大綱を法華に之を説き、其の余の網目は衆典に明かす」 (御書 九一五n)
と、成仏の大綱は法華経に説かれて、その他の細事網目は爾前の諸経に説かれているのですから、爾前経はあくまでも法華経あっての経教であり、法華経の中の権経となったとき、はじめてその意義と役割が明らかとなるのです。
 すなわち法華経『方便品』に、
 「種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」(法華経 一一九n)
とあるように、釈尊が種々の経典を説かれたのは、すべて仏乗である法華経を説き示すための方便だったのです。
 したがって、網目の爾前方便の諸経に固執し、大綱の教えである法華経を忘失した諸宗の教えでは成仏することはできないと知るべきです。

 法華経のために爾前経の文を引用する
 また、大聖人は爾前経について、
 「法華の為の網目なるが故に法華の証文に之を引き用ふべきなり」(御書 九一五n)
と仰せになっています。前述のように、法華経こそが成仏のための大綱であり、爾前経は、大綱たる法華経のための網目であるとの関係から、大聖人は『立正安国論』等の諸御書において、爾前経の文を法華経の正義、功徳、修行等を明かすための証文として引用されています。
 この意義については、日寛上人が『立正安国論愚記』に、爾前の諸経引証の理由に四意を挙げる中、その一番目に、
 「爾前は是れ法華の為の網目なる故に」(御書文段 一七n)
と釈されています。

 末法における大綱
 さて、『上野殿御返事』に、
 「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし」 (御書 一二一九n)
と仰せのように、末法今時においては、文底下種独一本門の南無妙法蓮華経こそが成仏するための真の大綱であり、釈尊一代の説教の中で最勝とされた法華経文上の本迹二門をはじめ、他の爾前経等すべての経教が網目となります。
 さらに大聖人は『聖愚問答抄』に、
 「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし。譬へば網の目無量なれども、一つの大綱を引くに動かざる目もなく、衣の糸筋巨多(あまた)なれども、一角を取るに糸筋として来たらざることなきが如しと云ふ義なり」(同 四〇八n)
と仰せです。要するに、末法の御本仏日蓮大聖人が、一切衆生救済のために顕された根本の法体たる本門戒壇の大御本尊こそ仏法の大綱であり、末法における信仰の在り方の基本は、この大御本尊を受持信行することが仏法の道理に適(かな)う方軌(ほうき)となるのです。

 謗法とは「大綱」に背くこと
 総本山第九世日有(にちう)上人は『化儀抄』に、
 「法華宗の大綱の義理を背(そむ)く人をば謗法と申すなり」(日蓮正宗聖典 九八三n)
と示されています。
 この本宗における「大綱の義理」とは、宗旨(しゅうし)の根本として定まっている大筋のことで、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、本門戒壇の大御本尊を根本の本尊として定め、また日興上人以来の御歴代上人を僧宝として仰ぐことをいい、これに背くことが謗法であると御教示されています。
 今日においては、これらの宗是(しゅうぜ)に背反(はいはん)するどころか破壊の限りを尽くす創価学会こそ、謗法の最たる姿です。大綱と網目という筋目を違えるという謗法を犯さない、すなわち本門戒壇の大御本尊への強盛なる信心と、御法主上人猊下の御指南に信伏随従することが本宗の信仰における最も大切なことなのです。